「軍艦島」・・長崎県の沖合に位置する端島は、 海洋から見たときに島全体が「戦艦土佐」に似ていることからこう呼ばれています。 この島には海底炭鉱があり良質な石炭が取れたため、かつて多くの炭鉱労働者とその家族が移り住み、 最盛期には当時の東京都区内の9倍という世界一の人口密度を誇りました。 この狭い島に多くの人々が生活するために日本初の鉄筋コンクリート構造の高層住宅が造られ、 学校はもちろん寺や娯楽施設もあり、島は埋め立てにより何度も拡張されながら発展し 日本の高度経済成長を支えてきました。その軍艦島も石炭から石油へのエネルギー転換により衰退を 余儀なくされ、1974年に黒字のまま閉山。同年にかつて5300人もの人々が暮らした島は無人島となりました。 その後外海の厳しい環境にさらされたままとなった軍艦島は長年の風雨のため廃墟の様相を呈していました。 そんな軍艦島に出会ったのは私が高校生の時。長崎での修学旅行で軍艦島クルーズなるものを体験し、船から見た その姿、そしてその歴史に胸を打たれました。そして2009年よりついに上陸解禁となり、運良く上陸ツアーの 狭き門を突破しこの度の西日本パスのたびに組み込み、再開を果たす事になりました。 | |
心配していた天気は問題なさそうです。上陸ツアーは所要3時間の「やまさ海運」のツアーです。 なのであらかじめ予約しておく必要がありますが、早めに予約しないとすぐ完売になってしまいます。 予約をしてくれたのはKさんですが、よくもまあこんなマニアックなツアーに一緒に行ってくれる ものです。そんなKさんと長崎のホテルをチェックアウトし、乗船場の長崎港まで歩いていきます。 ほどなくして長崎港に到着、手続きを済ませパンフレットをもらったりして乗船時間を待ちます。 ツアー参加者には中高年を中心に若い人も意外といました。なおツアーの参加にはツアー料金 の他に、長崎市施設見学料と勝手な行動をしない旨の誓約書並びに承諾書が必要です。上陸解禁前も 廃墟マニア?の違法侵入者は結構いたようですが、建物はどれも風雨、高波と塩害にさらされいつ 崩壊してもおかしくない状況です。ツアーも上陸できるとはいえ建物の中に入ることはおろか 決められたルートから眺めるだけで、しかも舟が去れば軍艦島は電気も水道もない真っ暗な無人島になるわけですから、 勝手な行動は許されません。 9時になり、舟は軍艦島目指して出航。天気はよいですが外海の波の状況によって、上陸できるかどうかは現地まで 分かりません。始めのうちは三菱重工業長崎造船所や100万トンドック、女神大橋など眺める優雅な船旅 でしたが、外海に出ると一転して舟は大揺れ。上下にザブンザブンとダイナミックに揺れ、さながらジェットコースターのように Gがかかります。上陸できるか心配になってきました・・。やがて軍艦島が見え始め、参加者は一様に窓に釘付け。始めは小高い島のようにみえましたが、 波高い外海の絶壁に立つ高層アパートの姿がはっきりわかるようになると、なんとなく畏怖の念が込み上げてきました・・。 | |
やはり波が高いらしく、着岸に時間がかかりながらもなんとか上陸することが出来ました。
見学者が通る通路や柵はしっかりと整備されているようです。まずは第1見学広場という
ところに集まり、そこからあらかじめ配られた参加証の色によって3つに分かれます。
目に映る景色は異世界のよう。確かに異様な光景ではありますが、ここには確かに人が
暮していたのです。島内最大の建物である9階建て65号棟アパートの屋上には幼稚園があり、
エレベーターはないですから園児は毎日階段を上り下りしたそうです。赤いレンガの建物は総合事務所で、
炭鉱職員の共同風呂がありました。家庭用の風呂は上級職員の家にしかなかったそうです。
水も船での給水から海底送水管が敷かれるようになり、プールもつくられるようになりました
(周囲の海は石炭のカスで汚れていた)。電気は自家発電から海底ケーブルで送電されるように
なり、炭鉱マンの給与水準は高かったので当時長崎県一の電化製品普及率を誇っていました。
ロの字型の30号棟アパートは1916(大正5)年に建てられた日本初の鉄筋コンクリート造高層
アパートで、歴史的にも貴重なものです。しかし軍艦島上陸が始まってからの短い間でも目立った
外壁の新たな損傷が見られるようになり、相変わらずの雨ざらしではいつ崩壊してもおかしくはないとの
ことでした。よく見ると建物から上に柱が出ていますが、これは増築に備えたものだそうです。
その隣の31号棟アパートは島の護岸に沿うように造られており、6階建てのアパートは
津波などから島の中枢部を守る役目もしていたということです。
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見学できるのは北東から南西に細長い島のほぼ南西半分。北東部分は遠くから眺めるだけですが、
思った以上に小さな島です。鉱山関係の施設はほとんど崩壊してしまったためそうも見えませんが、
この島には建物がひしめき合うように建ち、最盛期には5300人もの人々が暮らしていたのです。
発展を極めた島が最期には無人島となり廃墟と化す様はまるでマチュピチュなど古代文明の滅亡や
近年の日本産業界のガラパゴス化にも似ています。しかしエネルギーの石炭から石油への転換のために
黒字ながらもその歴史に幕を閉じた軍艦島は、「滅亡」や「衰退」というよりも「勇退」という
言葉でその最期を飾るのがふさわしいと思います。軍艦島を世界遺産にする動きがありますが、
近代日本の発展を支えたドラマティックなこの島は、歴史的産業的遺産として十分世界遺産としての
その価値があると思います。
あっという間に上陸時間も終わり、軍艦島を離れます。どうやら高波続きで上陸できたのは一週間ぶり らしく、運がよかったです。最後に舟で軍艦島を一周し、この島とお別れ。軍艦島を訪れようとする方は、 軍艦島の歴史や島での暮らしを学んでから行くといいと思います。自分はこの島の姿のみならず そのドラマティックで潔い歴史に惹かれたのでしょう。 | |
さて、この旅は西日本パスのたびです。軍艦島の余韻を感じる間もなく、
毎度おなじみ長距離移動が待ってます。なんと言ったって、今日の宿泊地は道後温泉。
常軌を逸するプランなのです。若干時間が押したため、走って長崎駅へ。長崎発12:25の
「白いかもめ」に乗り込みます。こちらもJR九州自慢の特急で、普通車も含め座席は
革張りの豪華な仕様です。そんなわけで今回はグリーン車ではなく普通車を選択。
ツルツルすべるとのことでしたがそこまで感じず、なかなかいい乗り心地です。博多に到着し
駅弁とICカードのSUGOCAを購入して、15:04発のひかりレールスターに乗ります。レールスターは
グリーン車は連結されてないのですが、普通車でも2×2の座席配置なので、新幹線の幅広車体なら
十分なゆとりがあります。早速博多で買った駅弁を広げます。その名も「九州男弁当」。
九州男と書いて「くすお」と読むのははじめて知りました。美味。
岡山でレールスターから特急しおかぜに乗り換え。なんとアンパンマン車両でした。 3時間の道のりなのでグリーン車を選択しましたが、2×1の座席配列ですがそれほど グレードは高くない様子。となりの普通車はアンパンマンの座席で、こちらでも面白かったかも? 暗闇の瀬戸大橋はよく分からず、明日また通る時に期待するとして、気動車の心地よい唸りを聞きながら 、松山に到着したのは20時半前でした。松山で「ぼっちゃん電車」で有名?な松山市電に乗り、 終点の道後温泉で下車。ホテルにチェックイン後、道後温泉といえばの「道後温泉本館」に行ってみます。泉質は 比較的普通で湯は熱めでした。皇室専用風呂の見学も有料で出来るようですが、今夜は遅いので 一風呂浴びて宿で就寝。夢の西日本パスの効力も明日で終わりです。 | |